飯沢匡の妻や子供と家族は?黒柳徹子と師弟関係で愛人はデマ!
こんにちは、えりっちです。
ドラマ「トットちゃん!」に出演して実在する劇作家の飯沢匡(いいざわ ただす)さんについて掘り下げてみようと思います。
結婚して妻と子供はいたのか?
家族などについて。
黒柳徹子さんとの関係についても噂の真相に斬りこみます。
まずは、飯沢匡さんのプロフィールからどうぞ。
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飯沢匡
いいざわ ただす
本名 伊澤 紀(いざわ ただす)
生年月日 1909年7月23日
没年月日 1994年10月9日
没年齢 85歳
出身地 東京都
職業 劇作家、演出家、小説家
東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業して武蔵高等学校 (旧制)尋常科に乳が鵜しましたが、高等科の時に勉強嫌いのため中退しています。
大人になって物書きで名をはせた方なら学校での勉学も優秀だったのだろう。と思いきや飯沢匡さんはかなりの勉強嫌いで成績のほうは芳しくなかったようです。
その後、文化学院美術科に入学してこちらは専修科も卒業しました。
美術系のほうは興味があって取り組めたのかもしれませんね。
1933年に東京朝日新聞社(現・朝日新聞社)に入社して45歳の時に退社しています。
この新聞社に在籍中にすでにNHKの台本などを手掛けていました。
密かにやっていたアルバイトだったので本名とは別の「飯沢匡」の名前で原稿を書いていました。
飯沢匡さんが結婚した妻や子供
飯沢匡さんが結婚して奥様やお子さんがいたのかも気になったので調べてみました。
ネット上では「結婚して妻と子供がいた」というざっくりした情報だけはあるのですが、具体的なことは判らず...
昔のことなので、劇作家さんの奥様が誰なのか?という報道は残っていないようです。
今なら裏方のお仕事でも、結婚した!子供が生まれた!離婚した!とすべて報道される傾向がありますけどね。
時代的に独身のままのほうがとても珍しいことだと思うので、結婚されていたという情報は当たっているのではないでしょうか。
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飯沢匡さんの家族
飯沢匡さんの家系というのが、著名なかたが多いようで、お父様は官僚政治家の伊澤多喜男氏でお母様は川端康成文学賞を受賞した小説家・色川武大さんの親戚にあたります。
母方の祖父・色川三郎兵衛は衆院議員をつとめた人です。
親戚に政治家や文学に携わったひとが多いのですね。
それを考えると飯沢匡さんが小説家になったのもうなずけます。
飯沢匡さんと黒柳徹子さんとの師弟関係
飯沢匡さんと黒柳徹子さんとの出会いは、飯沢匡さんがNHKのラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」の原作と脚本を手掛けたことは始まります。
その後も「ブーフーウー」でも一緒に仕事をしています。
黒柳徹子さんがNHKの専属俳優になって自分の「個性」が受け入れられないジレンマを抱えていた時に、飯沢匡さんが言った「君のその個性が 欲しいんだ」という言葉に勇気づけられました。
子供の時には小林宗作先生に認められ、大人になったときに飯沢匡さんに認められ、周囲の人から「変わっている」と言われ続けた黒柳徹子さんにとって救いの言葉だったと思います。
ありのままの自分を認めてくれた飯沢匡さんと仕事を通じながらまるで師弟のように関係が続いていきます。
しかし、その師弟関係を色眼鏡で見る人もいたようです。
挙句の果てに黒柳徹子さんが24歳の時に生まれた末の弟・貴之さんが黒柳徹子と飯沢匡さんの間にできた隠し子ではないか?という噂ばなしまで...
この噂には本当にあきれてしまいます。
時系列をおってみると、弟の貴之さんが生まれたときには黒柳徹子はすでに第一線でヤン坊ニン坊トン坊」や「ブーフーウー」に出演していた時です。
そんな忙しいさなか、出産ができますか?
そんなことは無理だと誰でもわかるはずです。
この噂は完全にやっかみか何かで無責任な言葉で伝わっていったのでしょうね。
しかも、尊敬している飯沢匡先生の愛人などというのもかなり疑わしいです。
そういう噂を流して足を引っ張りたいひとがいたのかな?と思ってしまいます。
唯一の救いは、個性を隠さず芸能界で羽ばた黒柳徹子が素敵ということですね。
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