それってどうなの?

黒柳守綱の死因はなに?若い頃の写真と実家や家族を調べてみた!

LaPorte / Pixabay

こんにちは、えりっちです。

今日はタレントの黒柳徹子さんのお父さんである黒柳守綱(くろやなぎもりつな)さんについて調べてみたいと思います。

黒柳守綱さんはバイオリニストとして活躍して、東京交響楽団のコンサートマスターも務めていました。

黒柳守綱さんの若い頃の画像や、親や兄弟など家族についても併せて調べてみました。

まずは、プロフィールからどうぞ。

 

 

黒柳守綱

 

くろやなぎもりつな

生年月日 1908年6月20日
没年月日 1983年4月30日
没年齢 74歳

出身地 東京都

職業 ヴァイオリニスト、コンサートマスター

 

 

黒柳守綱さんの親や兄弟

 

黒柳守綱さんは東京生まれですが、生家のお父さんは田口潔矩(たぐちきよのり)さんとおっしゃって守綱さんが8歳の時に亡くなっています。

お父さんは生前、開業医をしていて奇しくものちの妻となる門山朝(かどやまちょう)さんのお父さんと同じ職業でした。

明治時代に医者という職業に就いているなんて、かなり珍しかったのではないでしょうか。

田口家の4男として生まれて、長兄の田口桜村さんは、松竹蒲田撮影所の初代所長を務め、三男の田口修治さんは撮影技師や映画監督の職に就きました。

 

お父さんが亡くなったあとには三男の田口修治さんと現在の三越(当時は三越呉服店)で働き始めました。

わずか12歳のころで、丁稚奉公のような感じだったのかな?と思います。

成人してからヴァイオリン奏者になったのを見ると裕福な家庭環境で育ったのかな?と思いましたが、子供時代はかなり苦労があったようです。

三越呉服店の三越少年音楽隊へ入隊したことによってバイオリンと出会います。

あとになってみると、この三越呉服店で働いたことが人生の良い転機になったんですね。

 

黒柳守綱さんの名字がお兄さんと違っているのは、黒柳家に養子として入ったことがきっかけです。

養子になった時期は不明なのですが、三越呉服店に働いたあとになっているのではないかと推測しています。

10代のころからバイオリンを始め、29歳の時には新交響楽団のコンサートマスターに就任しています。

 

コンサートマスターというのはオーケストラでヴァイオリンの第一奏者に任命されるそうで、20代ですでにそれほどの実力をつけていたんですね。

 

 

黒柳守綱さんが結婚した妻と子供

 

黒柳守綱さんが結婚した門山朝さんは北海道空知郡滝川村(今の滝川市)から東京の東洋音楽学校の声楽科で学ぶために上京していました。

その在学中に黒柳守綱さんと出会い、親の反対を押し切って結婚します。

当時、朝さんには父親が決めた家業の医院を継ぐ許嫁がいたそうです。

父親の意見が絶対な時代で恋愛結婚をするなんてとんでもない話だったでしょうね。

黒柳守綱と朝さんは、乃木坂にあった乃木坂倶楽部というアパートで新婚生活を始めました。

今ではそのアパートはありませんが、東京ミッドタウンのすぐお隣ぐらいの位置です。

結婚したお二人には5人のお子さんに恵まれましたが、残念なことに長男は早逝しています。

長女は黒柳徹子さん、長男は明兒さん、次男はバイオリニストになった紀明さん、次女はエッセイストの眞里さん、三男は貴之さん。

 

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黒柳徹子さんが在園していたトモエ学園のいま

 

若い頃の写真は?

 

黒柳守綱さんは大変な二枚目だったというのを知って、お若い頃の写真がないか探してみました。

黒柳徹子さんがインスタグラムにご両親のお写真をアップしていました。

 

 

 

当時の日本男子としてはかなりの二枚目であか抜けた雰囲気ですよね。

そして、奥様の朝さんも美人です!

まさに美男美女のお二人ですね。

 

守綱さんが亡くなったあとに朝さんがインタビューで残した言葉

現在、ものすごく高騰しています。

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黒柳守綱さんの死因はなに?

 

黒柳守綱さんは、1983年に74歳で亡くなっていますが、死因はなんだったのか気になったの調べてみました。

最後は心筋梗塞でなくなっていて、長女の黒柳徹子さんは「徹子の部屋」の収録前に訃報を知りましたが、気丈に仕事をこなしたそうです。