こんにちは、えりっちです。
いまノーベル賞に最も近いと言われている旭化成顧問の吉野彰氏。
長年旭化成でバッテリーの研究をしていました。
そんな吉野彰(よしのあきら)氏について、学歴や職歴、いままでどんな研究をしていたのか調べてみたいと思います。
まずは、吉野彰氏のプロフィールからどうぞ。
吉野彰
よしのあきら
生年月日 1948年1月30日
年齢 69歳
出身地 大阪府
最初、吉野彰氏のお顔を見たときにiPS細胞の山中伸弥教授に似ているな。と思ったのですが、「研究者顔」というか、なにか突き詰めて研究している方は顔立ちも似てくるのでしょうか?
吉野彰氏の妻や子供は?
吉野彰氏の家族についても気になります。
ご両親の子育ての方法もどんな風だったのか気になります。
ご結婚された奥様については、お名前は久美子さんとTVで紹介されていました。
ご主人の彰さんについて、「いつも家でゴロゴロしている」とコメントなさっていました。
毎年、ノーベル賞の発表があって受賞されたかたがそれまで歩んできた人生ってととても気になります。
真似をしたからと言って何かひとのために役立つ何かを残せるわけではないですけどね。
吉野彰氏の出身高校や大学
吉野彰氏は大阪府出身で高校は大阪府立北野高等学校を卒業しています。
北野高校は公立ですが、偏差値76の超がつくほどの進学校です。
毎年、京都大学へ60人ほど進学しているそうでそれを考えただけでもレベルの高さがわかりますね。
そして、同校の卒業生も著名なかたが多いのが特徴です。
漫画家の手塚治虫さんや政治の世界では橋下徹さん、松島みどりさん。
実業家では日本マクドナルドの初代会長の藤田田さん、株式会社ミクシィの代表である笠原健治さん。
俳優の森繁久彌さん、数学者の森毅さんといろんな分野で活躍しているかたが多いです。
吉野彰氏は北野高校を卒業後、京都大学工学部石油化学科に進学して卒業しています。
なんだか王道な進学先ですね。
その後は京都大学工学研究科で修士課程を修了して就職することになります。
吉野彰氏の職歴
1972年に旭化成株式会社に入社して、技術研究の職に就くことになります。
20年後には現在注目を集めているイオン二次電池事業を使った商品開発のチーム長として研究をしてきました。
33歳の時からリチウム電池の研究を始めたということですが、そう聞くと研究職というのは何十年もかけて仕事をやり遂げるというには本当に凄いことです。
吉野彰氏は入社以来電池の開発畑でずっとやってきたんですね。
ノーベル賞候補にあがるかたは、大学の研究室で研究をやってきた人が多い印象ですが、企業で開発を続けてきたかたにスポットがあたるといろんな研究をしている人にとっても励みになりますね。
吉野彰氏が研究発明したリチウムイオン二次電池とは?
吉野彰氏はリチウムイオン二次電池の発明に関わったひとりとしてノーベル賞の候補に挙がっていますが、ひとりのお名前だけ出ているということは、吉野彰氏の功績がなければリチウムイオン二次電池が完成しなかったぐらいの貢献度なんでしょうね。
現在では、リチウムイオン二次電池は携帯電話やノートパソコンのバッテリーを小型化することになくてはならない電池となっています。
最近は、携帯電話も小さくて当たり前になっていますが、よくよく考えるとここ数年でかなり進化していますよね。
しかも二次電池として充電して使う電池の中でも、リチウムイオン二次電池は使い切っていない状態で充電しても影響がほぼなくつかいやすい二次電池として認知されています。
よく、バッテリーはなるべく使い切ってから充電したほうがいいと聞いていましたが、性能が変わってきているんですね。
これからも私たちの生活に役立つこと間違いなしですね。
追記
2019年10月9日
今年のノーベル賞で見事に吉野彰さんが受賞しました。
数年前から期待されていましたが、日本からこんな素晴らしい研究で受賞されるかたが出られて誇りですね。