こんにちは、えりっちです。
毎週土曜日の楽しみがNHKドラマ「植木等とのぼせもん」を観ることになっている管理人です。
植木等さんってとても印象に残っている俳優さんでしたが、元々は音楽の世界で芸能界に入っています。
参加したバンド・クレイジーキャッツが有名ですが、さすがにリアルタイムでそのころのお姿は記憶になく…
改めて考えると、結婚をしていた植木等さんのことを全然知らないので調べてみることにしました。
まずは、植木等さんのプロフィールからどうぞ。
植木等
うえきひとし
生年月日 1926年12月25日
没年月日 2007年3月27日
没年齢 80歳
出身地 三重県伊勢市
東洋大学文学部国漢科卒業
職業 俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント
改めて職業をチェックしてみると、いろんな顔をお持ちですよね。
それだけ多才なかただったんだな~と思います。
亡くなって10年が経とうとしていますが、今でも「舞妓Haaaan!!!」で演じた社長さん役を鮮明に覚えています。
植木等さんが結婚した妻と子供
植木等さんは1950年に東洋大学文学部国漢科を卒業したという話しが伝わっていますが、こちらの情報は中退したのではないか?ということも言われています。
そのことを裏付けるように21歳の時に奥様の登美子さんと結婚しています。
その年は1947年(昭和22年)ということで、本来なら大学在学中になります。
翌年には長男が誕生しているので大学を中退という情報のほうが濃厚かもしれませんね。
結婚後に、一男三女のお子さんに恵まれています。
長男は歌手で作曲家でもある比呂公一(ひろこういち)さん。
お父さんと同じように芸能の世界に入ったんですね。
「ざわざわ森のがんこちゃん」の音楽監督も務めています。
そして、植木等のボーカロイド版「植木節:呼びました?」の作詞・作曲・編曲なども手掛けています。
娘さんのおひとりは植木裕子さんでドイツを拠点にクラッシックバレエのバレリーナとして活躍しています。
日本での公演ではお父さんの植木等さんが観劇に行かれることもあったようです。
よく芸能人はお子さんに甘い。などと言われることが多いですが、植木等さんはお子さんに対して厳しい面があったようで、「好きなことをやってもいいが半端になるな」と叱咤激励する姿があったようです。
植木等さんはコメディアンとしておふざけのキャラを演じていることもありましたが、私生活では質素で堅実な暮らしぶりだったということでお子さんたちもまっすぐに育ったんでしょうね。
植木等さんの父親
植木等さんのお父さんはお寺の住職をされていました。
植木等さん自身も愛知県から上京した時には僧侶の修業をすることが目的だったというから人生はどこで変わってしまうかわかりませんね。
父親の母方の親戚には、あのミキモトの創業者である御木本幸吉さんがいらっしゃいます。
芸能界で著名になるかたは身内に有名人や著名人がいらっしゃるパターンが多いです。
植木等さんの付き人
植木等さんの付き人と言うと、コメディアンの小松政夫さんが有名です。
小松政夫さんは車の販売店で営業成績トップだった時に辞めて付き人兼運転手に応募して採用されました。
当時、小松政夫さんが早くに父親を亡くしていたことから植木等さんに「自分のことをオヤジと呼べ」と言われていたそうです。
実際に父親のように親身になってくれたそうです。
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その付き人を4年ほど経験したのちに植木等さんの事務所でタレントとしてデビューすることになりました。
小松政夫さんにしてみると本当に父親のような存在だったのかもしれませんね。