こんにちは、えりっちです。
日本のフォーク界の代表だったはしだのりひこさんの訃報が入ってきました。
今まで数々のグループに所属して多くのヒット曲にも恵まれています。
今回は、遺されたはしだのりひこさんの奥さんや子供さんについて、はしだのりひこさんの歌手の経歴とともに振り返ってみたいと思います。
まずは、はしだのりひこさんのプロフィールからどうぞ。
はしだのりひこ
本名 端田宣彦
生年月日 1945年1月7日
没年月日 2017年12月2日
没年齢 72歳
出身地 京都市
職業 シンガーソングライター
本名は「端田宣彦」さんとおっしゃるんですね。
ひらがな表記で見て聞いていて、勝手に「橋田」さんと思いこんでいました。
人の認知機能って勝手に書き換えられるんだな..と、改めて実感しました。
はしだのりひこさんが所属したグループと代表曲
私ははしだのりひこさんの記憶というと、リアルタイムでは記憶にありません。
そんなわけで、当時の熱狂されぶりがぴんと来ていないところもあるのです。
でも、はしだのりひこさんの凄いところは、「知らないのに知っている」という不思議な現象です。
楽曲がリリースされた年を確認してみても、「これリアルタイムで聴いていないよね…」と思うのですが、すごく記憶には残っているんです。
それはなぜか?と思ったのですが、きっと「懐かしのフォークソング」的な番組でたびたび取り上げられているからかな?と思います。
しかも、がっつりと聴きこんでいないのに素晴らしい歌の記憶は残っているんですね。
「悲しくてやりきれない」など、歌えますもの…なぜか。
自分でも不思議です。
多くのかたがカバーも出していますが、私の記憶の中でははしだのりひこさんが歌った「悲しくてやりきれない」なのです。
そんなはしだのりひこさんが所属していたグループを調べてみると、たくさんの経歴があるんですね。
驚いてしましました。
ドゥーディ・ランブラーズ
ザ・フォーク・クルセダーズ
はしだのりひことシューベルツ
はしだのりひことマーガレッツ
はしだのりひことクライマックス
はしだのりひことエンドレス
「ドゥーディ・ランブラーズ」ははしだのりひこさんが同志社大学に在籍中に結成されました。
クラウンレコードからレコードリリースもされています。
そして、一番印象深いのは「ザ・フォーク・クルセダーズ」ではないでしょうか?
1965年に結成されてドゥーディ・ランブラーズとかぶる期間があるみたいですね。
なぜか昔のグループ名のほうが鮮明に印象に残っています。
ザ・フォーク・クルセダーズでの「悲しくてやりきれない」や「帰って来たヨッパライ」などは、あとあとになって聞いているのに鮮烈に残っています。
「はしだのりひことクライマックス」の時のヒット曲、「花嫁」もなぜか覚えています。
年代を超えて繰り返し歌われてきた名曲だからでしょうか。
この時のボーカル・藤沢ミエさんとはしだのりひこさんは結婚したのか?と思われている人がいるようですが、このおふたりの結婚の噂はガセのようです。
はしだのりひこさんは結婚していた?妻と子供は?
はしだのりひこさんは結婚していたのかな?と気になったのでこちらのほうも調べてみました。
結婚した年度は判明しませんでしたが、奥さんと男の子と女の子がいらっしゃいました。
2000年ごろには奥様が闘病をされていて、はしだのりひこさんが主夫としてお子さんたちの面倒をみていたようです。
いきなりお父さんが家事をこなすのは大変なことだったでしょうね。
その経験の手記「おとうさんゴハンまーだ」を出版されています。
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この手記をもとに1987年に「風のあるぺじお」というタイトルで映画化もされています。
この映画に娘さんの端田新菜(はしだにいな)さんも当時9歳ぐらいで出演しています。
現在、娘さんは舞台俳優をしているということで、もしかして子供の頃の映画出演がきっかけになったのかもしれませんね。
はしだのりひこさんには息子さんもいらっしゃいますが、一般人のようで特に情報がありませんでした。
はしだのりひこさんの晩年はご自身も病気で闘っていました。
2017年4月には出演したラジオ番組が賞をとって、授賞式に車いすで参加したのが公の場に出た最期になったようです。
心よりご冥福をお祈りいたします。